絵を描き続けてきたことが自分の人生 好きなものを見つけ、続けてきたから障がいを克服できた 口で描く画家 古小路 浩典
絵を描き続けてきたことが自分の人生
好きなものを見つけ、続けてきたから障がいを克服できた
古小路 浩典は四肢麻痺の車椅子生活で、口に筆をとって絵を描く画家。
1963年5月宮崎県生まれ。
中学3年生のとき、器械体操のクラブ活動中に誤って頭から落下し、第4・第5頸椎を損傷し、肩から下が麻痺しています。
知人から口と足で描く画家たちのことを聞かされ、励まされて口に絵筆をとりました。
画家として自分らしく人生を切り開いていくために、家族から独立して生きていく選択を決断。
東京で勇気ある一人暮しを続けています。
プロフィール
氏名:古小路 浩典
肩書:画家・口と足で描く芸術家協会所属
1963年5月宮崎県生まれ、小学生の時に岡山県に移住し、現在は東京都在住
口と足で描く芸術家がいることを知り、小さな希望の光が見えた
やんちゃで活発に育った古小路 浩典は、子供の頃はせいぜい教科書の端っこにマンガを描く程度でした。
中学の部活では器械体操に打ち込み、当時の夢はオリンピックに出ること。
トップクラスの高校の進学がほぼ決まっていました。
しかし、その練習中に事故に遭いました。
事故当初は落ち込み、現実を受け入れられなく、やけになって「死にたい」と家族に当たり散らしたこともありました。
友人のお見舞いも辛くて、体を見られるのも、話すのも嫌で、来てくれるなと締め出し、だんだんと内に籠っていきました。
2年間の入院後、施設に入ることも考えましたが、家族が暖かく迎えてくれ、実家に戻りました。
そうして転機が訪れました。
退院後、家に帰っても何もすることがなく、毎日テレビばかりを見ていました。
イライラが募っていったそのころ、ある人が口と足で描く芸術家協会のことを教えてくれました。
自分と同じような境遇で、口や足で絵を描いている人が世界中にたくさんいることを知り、画家たちの姿に素直に驚き、励みになりました。
そして、小さな希望の光が見えました。
絵を描くことで、世界が広がっていった
絵を勉強してみようと思い立った古小路に、大切な出会いが生まれました。
洋画家の先生です。
古小路も20歳前で、先生もまだ20代後半で若く、友人のような付き合いが始まりました。
絵の話も楽しかったのですが、先生は音楽に詳しく、いつもLP盤を持ってきて聴かせてくれました。
古小路に文化を伝えてくれたような人で、絵を習うというよりも先生と話していることが楽しみでした。
そうやって週に1度、先生とのレッスンを続けました。
口と足で描く芸術家協会からの奨学金で、レッスン費を賄っていました。
何もできないと思っていた自分が、絵を描けることが喜びでした。
事故後はずっと受け身の生活でしたが、能動的に自分の意志でやれることがある。
また、集中できるものがあると、生活に張りが出ます。
そんな思いを反芻して、画家になるという人生の目標を決めました。
そして、絵を描くことが生活の中心になっていきました。
本格的に絵に向き合うようになると、その他にも色んな事に強く興味を持つようになりました。
画集はもちろんよく見、映画を観ては美しいシーンがあるとそれを描いてみたいと思い、詩を作ってみたりもしました。
漫画も絵の参考にしました。
そうやって暮らしていく中で、だんだん気持ちが落ち着いていきました。
ただ絵を描くだけではなく、世界が広がっていったのです。
やらないで後悔するより、やってみて後悔する方がいい
絵を描きだしてから10年後、更なる転機が訪れます。
初めての個展を開催しました。
絵を描くことで落ち着いた生活を取り戻した古小路でしたが、外に向かっていたわけではありませんでした。
個展を機に、積極的に外に出て人に会うようになりました。
いろんな仲間たちと交流することで、自分と同じような障がいを持ちながらも、一人暮らしをしている先輩がいることを知りました。
そんな中で、これから自分はどう生きていくのか、絵を描き続けるためにはどうしたらいいのかと、考えるようになりました。
そして30歳を過ぎた頃、「たとえうまくいかなくても、やらないで後悔するより、やってみて後悔する方がいい」と思い、東京での一人暮らしを決断しました。
現在、とりあえず5年頑張ってみる、と思ってスタートした東京暮らしは、既に25年を越えました。
はじめの数年間こそ、帰省するたびに「また東京へ行くのか」と切なく感じましたそうですが、今では1週間も滞在すると「早く東京へ戻って絵を描きたい」と思うほど、東京の暮らしに馴染んでいます。
初めての自主企画「5人展」
2012年、台湾で行われた口と足で描く芸術家協会のアジアの画家ミーティングに参加。
普段なかなか会えない口や足で描く仲間たちと一緒に絵を描いて、食事をして、語り合うという経験をしました。
「またみんなで会いたいね」という思いから、「グループ展をやろう」という話に発展。
2013年に初めての自主企画の絵画展「5人展」を原宿で開催。
「5人展」には古小路の他に、南 栄一(長野県在住/口で描く画家)・石橋 亨弘(大阪府在住/口で描く画家)・飯原 孝(新潟県在住/口で描く画家)・梅宮 俊明(埼玉県在住/口で描く画家)が参加。
2016年には、長野で開催しました。
「5人展」の企画はいつも念頭に置き、また開催したいと、絵を描き続けています。
原宿での5人展会場にて
代表作とその作品についての本人の言葉
「バースデー」 油彩画
「家族から独立して、ヘルパーの方からの生活支援を受けながら一人暮らしを始めた頃、初めて猫と一緒に暮らすことになりました。
ある春の私の誕生日に、協会からお祝いの花束をいただきました。
とても綺麗に生けてもらったので、記念に絵に描こうと思い、ヘルパーさんと賑やかに撮影をしていました。
すると、この家のもう一人の主があらわれ、身のこなしも軽やかに花瓶の前でポーズをとるのです。
普段であれば、なかなかこちらの願いどおりにはカメラに収まってくれない気分屋なのに…。
しばらくは堂々と正面を向いて身動きもせずに、それは立派にモデルをつとめてくれました。
そんな楽しい春の日を思い起こす作品です。」