「ありのままに生きていく」 障がいの有無ではなく、社会の一員として自信を持ち、笑顔の絶えない生き方をしたい ~口で描く画家 森田 真千子
「ありのままに生きていく」
障がいの有無ではなく、
社会の一員として自信を持ち、
笑顔の絶えない生き方をしたい
■プロフィール
氏名:森田 真千子(もりた まちこ)
肩書:画家・口と足で描く芸術家協会会員・色彩福祉士
1956年4月兵庫県生まれ。
生後10ヶ月の時に、高熱による脳性小児マヒのため四肢マヒとなり、両手両足が使えない。
養護学校小学部の時に、授業で口に鉛筆や筆をくわえて書き始め、努力によって、自由に使いこなすようになる。
同校中学部・高等部で絵画に興味を持ち、卒業後は絵による自立を決意し、強い意志とエネルギーで才能を磨いた。
絵画だけでなく短歌を詠み、全国各地のイベントや学校の講演では、絵と共に自作の短歌を書いた色紙の制作実演を行っている。
また、色彩福祉の資格を取り、色彩におけるカウンセラー指導も行っている。
1984年 | 第一歌集『心の掌』(新短歌社)を出版 |
1989年 | 淡路島八浄寺天井画を10枚描き、八浄寺の天井を飾り保存される |
1995年 | 第二歌集『風の画布』(新短歌社)を出版 |
1999年 | 岡山市南ふれあいセンターに作品「コスモス」が陶版画として常設展示、保存される |
2002年 | 「アジア太平洋の十年」キャンペーン2002年大阪フォーラム会場エントランスホールでの特別展示 |
2014年 | 色彩福祉士の資格を取得 |
2016年 | 短歌と絵の詩画集「縁」(口と足で描く芸術家協会出版社)を発刊 |
2016年 | 兵庫県宝塚市逆瀬川にギャラリー「GALERIA TAKARAZUKA」を開設 |
その他、公募展、グループ展などに作品を出展、大阪を中心に全国各地でコンスタントに個展を開催し、会場内での実演も行っている。
また、全国の各種学校や社会福祉協議会、社会人集会等にても講演を多数行っている。
≪メディア出演履歴≫
1980年 | 朝日放送テレビ 「おはよう朝日です」 特集番組出演 |
1984年 | 読売放送 「24時間テレビ」 番組内出演 |
1986年 | 読売放送テレビ 5分番組出演 |
1999年 | 福祉ラジオ 「重光萬石です」 出演 |
2002年 | 全国障害者芸術文化祭岐阜大会(障害者アートふれあいフェスタ)ステージプログラム 草野満代さん司会トーク・ライブin GIFU にて衛星生中継出演 |
2003年 | NHK教育テレビ 「にんげんゆうゆう」 出演 |
2003年 | グローバル・フェスティバル2003(大阪堺ビッグ・アイ)国際バリアフリー・フォーラム出演 |
2006年 | サンテレビ 「ニュースEyeランド」内特集 「口と足で描く芸術家」 出演 |
2017年 | 朝日放送「キャスト」出演 |
2020年 | 神戸新聞「ひと探訪」にて記事掲載 |
きっかけは勉強のため
森田真千子は、生後10ヶ月の時に、高熱による脳性小児マヒのため四肢マヒとなり、両手両足が使えません。
近所の健常児の子どもたちと遊んでいた時に、障がいがあるため動きが限られ、「なぜ一緒に遊べないのか?」という疑問を抱き、『障がい』というものを意識し始めました。
当時、公害病やポリオなどの感染症が流行っており、「うつる」という誤解により幼稚園の入園を拒否されました。
普通小学校への入学は認められていましたが、授業にリハビリの時間があるということで養護学校の小学部に入学。
当時の養護学校は障がいの幅が軽度から重度までと広く、普通学校と同じ授業内容でした。
授業についていくために、口に鉛筆をくわえて字を書き始めたのが、口で絵を描くようになるきっかけとなります。
文字が書けるようになったことにより、みんなと一緒に授業を受けられたことは、大きな喜びでした。
しかし、最初は口でくわえて安定させる方法がなかなか分からず、弱々しいミミズのような字でした。
また、噛みあとと唾液のために、鉛筆はすぐにボロボロになりました。
そこで、先生や親たちが色々とアイデアを出してくれ、鉛筆に布を巻き付けたり、補助具を付けたりして工夫しました。
その工夫は、今でも筆や色鉛筆を使って絵を描くときに活きています。
協会に参加するという目標
小学4 年生頃から水彩画を描き始め、中学部で美術部に入り、絵の基礎を習い始めました。
ある日、同じ大阪出身で協会所属の口で描く日本画家、南正文が、「口で絵を描いている学生がいる」ということを知り、養護学校を訪ねてくれました。
南との交流により、他にも世界中に多くの口と足で描く画家がいることを知り、また「口と足で描く芸術家協会」があることも知りました。
さらに協会所属の足で描く画家、木村浩子の講演と足で描く実演を、養護学校で見ました。
自分と同じ脳性小児マヒを負いながら足で絵を描き、社会に貢献されている姿に尊敬の念を抱きました。
2 人との出会いにより、協会に入るという目標を得ました。
高等部でも美術部に入り、油絵も描き始めました。
油絵は先輩方の描き方を見習っていましたが、なかなかコツが掴めず、何度も描き直したり、色々な画家の絵を観に行ったりしました。
そうして、養護学校卒業後も絵を描き続けました。
絵による自立を目指す
養護学校卒業後は、協会所属の口で描く画家、安達巌に絵を習いながら、安達や南正文と一緒にグループ展に参加するようになりました。
当時は重度障がい者には就職先も大学も受け入れがなく、また作業所なども少なく、否応なしに在宅障がい者となってしまう立場でありながら、絵を描き続け、絵による自立を目指しました。
しかし、最初からうまくいくわけではありません。
力及ばず、協会入会の資格を得る試験で二度落選しました。
そこで、より一層絵に力を注ぎ、三度目の正直で協会への入会を果たしました。
強い意志とエネルギー、そして協会の奨学金を受けて、才能を磨いていきました。
以後も様々な作品を描き、協会の正会員として推挙され、現在も描き続けています。
ありのままに生きていく
昔から積極的な性格で、興味あることには参加し、介護の人たちと車いすで気軽に外出もしています。
地域サークルを作ったり、フェスティバルを主催したり、絵を描く以外にも様々なことにチャレンジしてきました。
また、絵画展での実演や学校などでの講演会では、自作短歌に絵を添えた色紙の制作を行っています。
実演や講演会では多くの人との出会いや交流ができ、中には感動され涙を流す方や、笑顔で接してくださる方も多くいます。
そのような経験によって、諦めない心や向上心を知り、「私も人の為になっている」という気持ちと、感謝の心を抱くようになりました。
その感謝の気持ちと、ご覧いただく方々に少しでも笑顔で過ごしていただければという思いを込め、2016年に短歌と絵の詩画集「縁」を発刊しました。
多くの方に興味をもって読まれています。
また同年、宝塚市逆瀬川にギャラリー「GALERIA TAKARAZUKA」を開設。
様々な方々との出会いから得られる「生きる喜び」を、口や足で絵を描く後輩たちにも伝えるきっかけになればと願い、運営しています。
障がいの有無ではなく、社会の一員として「自信」を持ち、「ありのままに生きていく」。
そして前を向き、周囲にアンテナを張り、社会の動きに敏感になりながら、皆が笑顔でいられるように、笑顔の絶えない生き方をしたいと願っています。
「鳳凰」 油彩画
森田 真千子 の絵からできたグッズはこちら