画家の生きる道 「いま、夢の扉が開いた いままで、そしてこれから」
画家の生きる道
「いま、夢の扉が開いた いままで、そしてこれから」
口で描く画家 六鹿 香(むしか かおり)
「とげとげ」
1999年2月、愛知県生まれ。
未熟児として出生、手足等が動かずに、生後4カ月に「先天性多発性関節拘縮症」との診断を受けました。
小学校は特別支援学級で学び、その後特別支援学校中等部、高等部を卒業しました。
介護施設に障がい者雇用にて就職。
パソコン検定3級の資格を持ち、口にくわえたペンでパソコンを操作し、職員のシフト表や情報の入力作業、イベント用のチラシなどを作成していましたが、協会に所属後は介護施設を退職。
念願のひとり暮らしを始め、今は描画に専念しています。
六鹿 香 (愛知県/口で描く画家)
自分の障がいを理解して…
日常生活では、衣服の着脱や排せつ、入浴などに介助が必要です。
食事は、テーブルの高さや配膳の準備があれば、自助具を使い口元へ運ぶことができます。
「自分でできることは自分で」という両親の教育方針により、口を使って身の回りのことをこなしてきました。
小学校ではほとんどの授業を通常クラスで受けていたため、ノートを取るのも一苦労でした。
もちろん支援の先生もいて、時間のかかることはお願いするのですが、何を頼むべきか、何なら自分でできるのか、その判断自体に悩みました。
できないことの多さや周りに置いていかれる環境は、やはり健常者とは違うんだと改めて思い知らされました。
「サーカス」
様々なことに果敢にチャレンジ!
小学生の時は少女漫画の世界にハマり、中・高ではアニメや漫画に熱中。
心のよりどころとなっていたのが絵やデザインの世界でした。
熱中しているときは、自身のハンディを忘れることができました。
生まれながらの障がいを理解しつつも、どうして自分がという思いを何かにぶつけたい、表現したいという気持ちが高鳴っていきました。
2015年、16歳の時に第21回NHKハート展に入選。
著名人が描いた絵と六鹿が作った詩のコラボレーション作品では「できる」というタイトルで、誰もが普通にできていることが「できない」、でも「いろんなことが口でできる!なんだってやってやる!」と主張。
また、2016年に開催された「G7伊勢志摩サミット2016」のロゴマークのコンテストで、六鹿がデザインしたマークが、応募7,084点から最終候補14点に選ばれました。
六鹿がデザインした「G7伊勢志摩サミット2016」のロゴマーク
自立できる可能性を信じて
様々なことに興味を持ち挑戦していた2017年、地元で開催した絵画展で、ケアマネジャーより協会を紹介されました。
自分以外にも口を使って絵を描いている人を見たのは初めてで、とても新鮮に映りました。
協会の方々とお話しするうち、将来、自立できる可能性があると感じ、参加を希望しました。
所属するための審査も通過し、晴れて協会の一員として活動し始めました。
最終的な自立は親と別居することと考えていた私は、協会からの奨学金を受け、ひとり暮らしという大きな夢を叶え、介護施設での仕事も退職。
絵に専念する環境を整え、描画の練習を重ねています。
「おかしな遊園地」
アイデアいっぱい盛り込んで考えました
今回、アイデアからイラスト制作を手掛け、クマのチャームが誕生しました。
ぬいぐるみのデザインは初めてだったので、せっかくなら自分好みにしようと思い、大好きなクマとスイーツを掛け合わせたデザインにしました。
シンプルでかわいいほうが今どきかなと思いながらも、考えているといろいろと詰め込み過ぎてしまい、装飾の引き算がとても難しかったです。
私なりに社会とつながっていきたい
協会のグッズは大人の方が使いやすい絵柄が多いなと感じていたので、逆にあまり見かけなかったゆるくてかわいい雰囲気の絵を意識して描いています。
クマのチャームも、子どもや孫に買ってあげようと思ってもらえたら、若い方にも協会を知ってもらえるかなと思いました。
また、ほかの画家さんとは違う雰囲気の絵を描くことで、ひと目で私が描いたとわかる、印象に残る絵を心掛けて描いています。
協会のサイトにコメントがついて反響が見えると、自分も社会とつながっているなと感じてすごく嬉しいし、おもしろいアイデアを思いつくとやる気が出てきます。
今後も今の自立した生活を続けながら、自分なりの発想を大事に、一生懸命絵を描いていきたいと思います。
スタッフから一言
2024年6月に開催した、協会主催の展覧会に六鹿も愛知県から見に来ました。
どこにでもいる25歳の女性です。
もちろん外に出ることも大好きで、休日には電動車椅子を使い外出し、買物やミュージシャンのライブ演奏にも行くそうです。
これからも伸び伸びと作品を描いてくれることを願っています。